東漸寺について

縁起

 浜風漂う下町情緒豊かな潮田の地に建立された金胎山(きんたいさん) 東住院(とうじゅいん) 東漸寺(とうぜんじ)は、真言宗智山派に属する寺院です。
玉川八十八ヶ所霊場 第七番札所、新四国東國霊場第十一番札所、東海観音霊場第三十番の札所になっています。

本堂にはご本尊 金剛界大日如来を安置し、その側に霊場のご本尊である薬師瑠璃光如来を始め、日光・月光菩薩、十二神将、阿弥陀如来が鎮座されています。
また不動堂には潮田不動として不動明王が安置されてます。

境内には六地蔵や庚申塔が並び、墓所には潮田観音霊廟という永代供養墓があり、その中央に東海観音霊場のご本尊である聖観世音菩薩がお立ちになられています。

倒壊の度に再建された東漸寺

東漸寺は、醍醐三宝院の勝覚法印が、寛治元年(1087年)に開基されたと伝えられています。

東漸寺の歴史年表

しかし、いつの時代か、回禄の災い(=火災)に遭い、堂宇、什寶、古文書などことごとく焼失したため、沿革については不明ではありますが、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記、またその他の地誌類や寺伝によると、東漸寺は村の中央にあり、新義真言宗に属し、古くは藥王山東壽院と号したと記されています。また伽藍においては本堂、鐘楼堂、薬師堂、天満宮、地蔵堂、大門などがそびえていたといわれています。

江戸時代には、本堂は、八間に五間の南向きにあって、ご本尊は江戸初期の作である大日如来の坐像を安置していたという記録があります。

また、横浜市史稿によると、本堂は六間に五間、亜鉛葺、四柱造で、大正12年(1923年)9月1日 震災(関東大震災のこと)により倒壊と記載があり、風土記編纂後にも倒壊し、関東大震災においても倒壊している様子が伺えます。

しかし同15年、法印 森岡惠寶により再建されるが再び戦災にあい焼失。
戦後、森岡隆宥和尚により昭和29年に再建され、昭和48年に慶讃法要を奉修。
現在の本堂は平成8年に中興第二十世 森岡隆冲大僧正により建立されたものとなります。

このように東漸寺は幾度となく倒壊という厄に遭ってきましたが、ご本尊だけは歴代の住職が守り通して、今日に至っています。

鐘楼堂は大門を入って、左にあり、八尺四寸の鐘で宝暦8年(1759年)の銘があったといわれていますが、現在は焼失しています。
薬師堂は、境内に入って左にあり、三間四方で東向きにありました。
天保12年1月(1842年)法印賢恭が三間に三間半の草葺で再建しました。
本尊には「聖徳太子が作り給ひし」と伝わる、二尺五寸の薬師瑠璃光如来の立像が安置されており、不動明王と合殿であったといわれていますが、こちらも現在は焼失しています。

地蔵堂は門前にあり、一間半に二間のお堂で、ご本尊は地蔵菩薩の石立像でしたが、現在は焼失。
天満宮は薬師堂と同じあたりにあり、小祠(しょうし)といいましたが、現在は焼失しています。

大門はいつの時代にか倒壊し、法印憲理の代に二間に九尺の切妻・亜鉛葺で再建し、惠寶和尚が大正13年修復したと記録されています。

別当寺としての東漸寺

東漸寺は江戸時代には神社も持ち、歴代の住職は別当職を務めていたと書かれています。
三嶽社に杉山社、この二社は合併して現在の潮田神社(うしおだじんじゃ)となっています。
白山社、若宮八幡社、神明社、第六天社、稲荷社など、潮田には当時十二の神社がありましたが、そのうち七社の別当を務めていたそうです。
このことからも江戸時代、当山は寺運隆昌の一途を辿ったと推察されます。

用語別当寺(べっとうじ)
神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。
神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を「別当」と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と称した。

こうして開山以来、九百余年の歳月を重ねる間に盛衰はありましたが、法燈の絶えることなく、現在まで連綿として続いて来たのです。

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1930年(昭和5年)頃の東漸寺付近の地図/横浜市立図書館 所蔵

1935年(昭和10年)頃の東漸寺
垣内若松氏の作

寺院紹介

宗派真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)
総本山智積院
山号金胎山(きんたいさん)
院号東住院(とうじゅういん)
寺号東漸寺(とうぜんじ)
開基寛治元年(1087年)醍醐三宝院 勝覚法印による
本尊金剛界大日如来
所在地〒230-0041 神奈川県横浜市鶴見区潮田町3丁目144番地2号
霊場玉川八十八ヶ所霊場 第7番札所
新四国東國霊場 第11番札所
東海三十三観音霊場 第30番札所

住職 ご挨拶

住職 宮田 隆伸

お寺は敷居が高いと良く言われます。それは「法事や葬儀でしか住職と話さない、お墓参りには行くが、用事がなければお寺にも行かない。お寺は人を集める努力をしていない。」など様々な原因が考えられます。相互のコミュニケーション不足もその一因でしょう。

そこで、私の目指したいお寺とは「安らかな心になれる場所」なのです。安らかであると感じることは人によって違います。そのためにお寺は様々な機能を備え、選んでいただく必要があると思っています。

  • しっかりと供養を行う菩提寺である。(朝のお勤め、法事、葬儀、施餓鬼など大法要)
  • 神秘的な密教体験が出来る。(護摩による祈祷)
  • 皆さまのニーズに合わせた行事を行う。(写経、ヨガ、法話、旅行、将来は寄席、コンサート等)
  • 生活様式の変化に応じたお墓をそろえる。(様々な大きさの一般墓、のうこつぼ、永代供養墓、納骨堂、ペットのお墓)
  • お坊さんと気軽に何でも話せる。

まだまだお寺に求められていることは沢山あるかと思いますが、お大師さまの教えを基に、全ての皆さまに安らかな心が得られ、そしてこのお寺で良かったと思っていただけるよう精進して参ります。是非一度お越しください。